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加藤 文 (Fumi KATO)

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2009.10.15 | | コメント(1) | トラックバック(0) | narrative

narrative.jpg

のぶお

2009.10.08 | | コメント(1) | トラックバック(0) | narrative

Ron Fricke の experimental documentary film "BARAKA" 1992

「今=ここ」での「瞬間的経験」の連続 = narrative」のコメントから、
Ron Fricke の experimental documentary film "BARAKA" 1992 の作品です。







続きを見たい方は、「続きを読む」をクリックして下さい。


>> 続きを読む

2009.10.07 | | コメント(0) | トラックバック(0) | references

narrative その1


2009.10.06 | | コメント(1) | トラックバック(0) | narrative

確認事項

のぶ君、本当にゴメン。

一つ確認したい事があります。



短歌の要素「五・七・五・七・七」で、31枚の写真にするか、終わりを決めずに進めるかです。



この企画で、かなり重要だと思います。これだけ決めませんか?



>> 作品を見る




P.S.
その写真が実際にどんな状況かをコメントで書いて最後に見直すのも面白いかもしれません。






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濱口 直輝 (Naoki HAMAGUCHI)
| HP | blog | online exhibitions | mail to | YouTube | vimeo | flickr |

2009.10.05 | | コメント(1) | トラックバック(0) | narrative

名称未設定 3


のぶお

2009.10.05 | | コメント(1) | トラックバック(0) | narrative

「今=ここ」での「瞬間的経験」の連続 = narrative

俳句を詠む/写真を撮る行為は、衝動的な感動に対しての瞬間的な反応です。

加藤周一さんは「日本文化における時間と空間」のなかで、松尾芭蕉は、俳句を短歌(その一つの形態としてしての連歌)と区別し、瞬間的経験の表現と考えて、またその経験は感覚的であり、知覚の対象(外界)と内心との一種のの交感であって、たちまちおこり、たちまち消え去るものである。(加藤周一 (2009). 日本文化における時間と空間. 岩波書店. P.76)とゆうように言われています。


また、連歌について





(参照:加藤周一 (2009). 日本文化における時間と空間. 岩波書店. P.71)


連歌の面白さは、「今=ここ」で付け加える付句と、前句との関係と書かれています。前句の作者にとって、前句も、また「今=ここ」での「瞬間的経験」になります。連歌は、時間の異なった「今、ここでの瞬間的経験」が重なる事によって、より複雑で予期しない意味が加わり、連歌の面白さになります。


俳句を詠む行為は、衝動的な感動に対しての反応です。計画されず、衝動で撮影されたスナップショットに近い感覚だと思います。俳句を詠む/写真を撮る行為もまた、「今=ここ」で起きた「瞬間的経験」です。


時間の異なる「今=ここ」での「瞬間的経験」の連続は、連歌の面白さ、また瞬間的経験を表現した俳句の面白さを含んだ、誰にも想像できない「narrative」になると思います。


そこで、伝統的な連歌の要素を使って、行数制限のない「narrative」を、スナップショットで作ってみませんか?


>> 作品を見る



P.S.
のぶ君がコメントで書いてた、「物と物とのリアクション、そのドラマチックさとつまらなさ、と、映画とかテレビで見る類いのメロドラマ(アルモドバルは良いと思うけど)の関係」の面白さにも関連していると思います。





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濱口 直輝 (Naoki HAMAGUCHI)
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2009.10.02 | | コメント(1) | トラックバック(0) | narrative


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